|
笠島村(かさしまむら)は、江戸時代から1889年まで日本の宮城県名取郡にあった村である。合併して愛島村の一部となり、現在は名取市の南西部、愛島笠島と愛島台にあたる。 ''本項目では合併後の笠島地区についても記述する'' == 地理 == 仙台平野とその西にある愛島丘陵にまたがる。愛島丘陵は東に突き出た部分を持ち、笠島村東部がその南側を占める。突き出た隆起は愛島丘陵本体と異なりなだらかで、北の塩手村から南の北目村まで、その中央を貫いて東街道(現在の宮城県道39号仙台岩沼線という中世からの街道が通じる。 面積の半分以上は愛島丘陵で、東に向けて川内沢川が流れ出る。現代の愛島笠島地区は同じ丘陵内の分水嶺を越え増田川の最上流部も含むが、明治時代までの笠島村はそこまで含まない。水田は川内沢川沿いの狭い平地と、東部の仙台平野に広がり、住居は丘陵沿いの少し高いところに寄った。 歴史的な中心地は現在の名取市立愛島小学校付近で、そこに各種施設・商店が集まっていたが、20世紀後半には丘陵部に住宅地が造成されてそちらが人口を増した。南の丘陵の中にグリーンポート愛島という住宅・工業団地が作られ、愛島台の名で住居表示をして愛島笠島地区から分離した。 :山 - 外山 (314m)、五所山 (295m) :河川 - 川内沢川 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「笠島村 (宮城県名取郡)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|